キリスト集会には牧師はいないのですか?

はい。キリスト集会には牧師も神父もおりません。しかし、これは「肩書や役職名がない」という意味です。いわゆる、牧師の働きの一つ「群れを牧する、群れのお世話」している者たちはいます。「長老、責任者、牧会者…」など呼び方は様々で、呼び方を固定化しているわけではありません。

私たちの集会でも複数の責任者がいますが、これは牧師や牧師になる前の伝道師というものではなく、群れのお世話をしている兄弟たちという意味です。

普段、集会(教会)の中では私たちは互いにクリスチャン男性のことを「兄弟」、クリスチャン女性のことを「姉妹」と呼び合っています。これはイエス・キリストにあって「神の家族」とされていることや聖書の記述に基づいています。

人はみんなどうせ死ぬのに何のために生きているのですか?
あなたはご自分の存在の意味が分からないのですね。例えば、ここに誰かが作った作品があったとします。これまで見たこともない作品で、何を表しているのか意味がよく分かりません。専門家に調べてもらってもさっぱりで、いくら考えても分かりません。そんなときどうすればいいでしょう。この作品の本当の意味を知りたければ、これを作った作者に聞けばいいのです。実は人間もこれを同じです。人間を造った方、すなわち天と地を創造された神に聞けば人間の存在意味が分かります。神に聞くとはどういうことでしょう。それは神のことばである聖書を読むということです。聖書を読めば人間は神の愛の対象として造られたことがわかります。そして存在の目的は神の栄光を表わすためだとも書いてあります。
神は唯一なのに、三位一体というのはどういうことですか?意味が解りません。
クリスチャンも完全に「理解」しているわけではありません。しかし、聖書全体で、神は「父なる神・子なる神・聖霊なる神」という三位でありながら唯一の存在であることが示されています。そこで神のご性質の一つとして三位一体を「信じて」います。
神は人間の理解をはるかに超えた方です。ある人は「人間の理性で納得するような形で存在しなければならない義務を神は負っていない」と表現しています。いずれにしても三位一体は、人にとっては神に関して「意味が解らない」最たる例と言えるでしょう。「過去・現在・未来」で成り立つ「時」や「時間・空間・物質」で成り立つ「世界」など、「三つの独立した面がありながら、一つであるこの世界」の事象を用いて説明を試みる人もいます。確かに参考にはなりますが完全な理解は不可能です。「聖書が語っているので受け入れ、信じている」というのが私たちの言える確実なことです。