聖書に基づきイエス・キリストの救いを伝える 一志キリスト集会(教会)

 聖書メッセージ05

「死後の進路決定」


鳥の写真
  死後の行き先

 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやってきては、彼のおできをなめていた。
 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。
 「父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」アブラハムは言った。「子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」彼は言った。「父よ。」ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみ場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」しかしアブラハムは言った。「彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。」彼は言った。「いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。」アブラハムは言った。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」(ルカの福音書16章19〜31節)

 フランスの作家ヴィクトル・ユーゴーはその著書にこう記しました。「人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている。」人間は誰もが死ぬ、とだけなら誰でも言えますが、それを死刑囚、すなわち有罪判決を受けた囚人だと表現したところが、凡人とは違いますね。死とは猶予期限の終了だと言っているのです。では死の後はどうなるのでしょう。この疑問に、はっきりと回答を示し、なおかつ幾世紀にもわたって、世界中の人々に支持されてきた唯一の書物、それが聖書なのです。聖書は啓示の書物と言われています。啓示とは、覆いを取り除くこと、すなわち人間の知り得ない真理を、その覆いを取り除いて示すという意味なのです。
 さて、今回の記事からまず教えられることは、死後の世界は存在する、ということです。死は無になることではなく、魂が肉体から分離することだと聖書は教えています。

 罪を知らない方を罪とされた神

 次に、死後の行き先は人によって異なる、ということです。ラザロは死んでアブラハムのふところに連れて行かれました。ここは慰めを受ける場所です。他方、金持ちは、ハデスという苦しみの場所に行きました。このハデスからはアブラハムやラザロが見えるのですが往来をすることが出来ません。死後の行き先を決定するのは、生きている間だけであり、死後は、その場所を変えてもらうことは出来ません。では、この両者の行き先を分けたのは一体何だったのでしょうか。ラザロが何故、アブラハムのふところに迎えられたのか、その理由は明確には記されていませんが、何故、金持ちがハデスに行ったかを考えることで、ラザロには、ハデスに行かなくても良い備えが出来ていたと推察することが出来ます。彼にとって死は恐ろしい刑罰ではなく、慰めへの入り口、希望となりました。

 他方、金持ちがハデスに行った理由については、私たちへの警告としてはっきりと記されています。金持ちは言いました。「もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。」金持ちはよく知っていたのです。人は、「悔い改め」なければならないことを。それは、彼がハデスに来たことについて不平を言っていないことからも分かります。「悔い改め」とは、考えを変える、改めるという意味ですが、金持ちの言っていることをよく読んでみますと、彼が生きている間、モーセと預言者、すなわち聖書のことばに耳を傾けていなかった、聞き流していたことが分かります。聖書を聞きながらも、考えを改めない、自分の思うままの生活をしていた。ここに金持ちがハデスに来なければならなかった原因があるのです。
 イエス様の十二弟子のひとりであったペテロは、私たちにもこのような警告を記しています。
 「主は、(中略)あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(ペテロ3章9節)。
 聖書も語っています。今は神の忍耐の時、猶予期間です。そして死後の行き先を決定するのは、今しかないのです。

Br.Cova



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